「手放しや終わり」のとき・・・なのだそうで、
確かに、かんじられるものはありました。
でも、それは大きく現時化において「ドーン」みたいな感じではなく、
ゆるやかに、おだやかに、でも確実に、というかんじでしょうか。
お庭の咲き始めた水仙。私のこころもこんな感じかな。ゆるやかに、流れにのって、でもきちんと自分の意思で。
おそうじも、がんばりました。
安心院にきて、早七年・・・少しずつためてきた保存食、梅干や果実酒、薬草酒、
種の塩漬けなどなど。奥底にしまいこんでいて、このまま寝かせすぎても・・・
陽の目をあびるところに出して、いただいたり、活用します。
ごっしゃー!模様替え。重たいタンスを動かしたり・・・整理整頓。
お日様にきれいにしてもらって☆
ゆふあもお手伝い。
きれいになってきた☆
きれいに整理整頓して、
お日様にあててきれいに拭いて、
より、ここちよい、あるべき場所に、移動してもらって、
おうちの中は、かなり気持ちよくなった。
もともとあったものだし、変わらないけれど、
でも、手をかけて、きれいにすると全く違う。
とてもとても気持ちよい。
息するだけで、あーなんて幸せなんだろうと思う。
私も、なにも変わらず私だけど、
なんだか、こころがあらわれて
とてもとてもきもちよい。
今は、すぐには表にでなくても
きっとゆるやかに、でも確実に、
全く変わってくるんではないかと感じている。
やっと、自分でいることがここちよくなってきている。
なんでも、断りきれなかった弱い自分にさようなら。
自分勝手すぎる自分にさようなら。
人のことに一生懸命になりすぎる自分にさようなら。
でも、ぜんぶぜんぶあいしてるよ。
いままで必死で生きていてありがとう。
これからは、もっともっとここちよく生きていこう。
ひとつの節目。
さあ、明日から変わらない愛の中で
全くあたらしい自分で
生きていこう。
いつも、おおきな愛で
私をあらい、包んでくれて
ありがとう。
あいしてるよ。
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